全面勝訴と最悪の不当判決

韓国のインターネット新聞『PRESSian(プレシアン)』2017年10月3日付に掲載された「無償化連絡会・大阪」藤永壯共同代表の文です。
ご本人の承諾をいただき、日本語オリジナル原稿(一部修正)を全文ご紹介します。

 

全面勝訴と最悪の不当判決 ~判断の分かれた朝鮮学校「無償化」裁判~

日本政府が教育の機会均等を目的に創設した「高校無償化」制度の適用対象から、日本全国に10校ある朝鮮高級学校の生徒だけを除外したのが2013年2月。あれからすでに4年半の歳月が経過した。
この不当な差別措置に抗議して、大阪、愛知、広島、九州、東京の5つの朝鮮高級学校の生徒あるいは学校法人が、国を相手に訴訟を起こした。長く困難な裁判闘争の末、今年に入ってようやく広島、大阪、東京の3地域の地方裁判所で判決が宣告されている。このうち大阪の判決(7月28日)では原告が全面勝訴する画期的な成果を収めたものの、広島(7月19日)と東京(9月13日)では原告敗訴の不当判決が言い渡される正反対の結果となった。
私は日帝植民地支配の時期を中心とする朝鮮近現代史の研究者であり、日本の朝鮮に対する植民地支配政策の犯罪性については熟知している。また在日朝鮮人に対する日本政府の容赦ない弾圧、抑圧の歴史についても頭では理解しているつもりであった。しかしこのたびの各地の裁判の進行過程や結果を見ながら、日本国家がまさしく植民地主義的な価値判断基準から、手段と方法を選ばずに在日朝鮮人の民族教育を否定しようとする姿に、自らの認識の甘さを痛感しているところである。私は民族差別政策の何たるかを、実はまるで理解していなかったのだ。しかしだからこそ、司法が民族教育の意義を初めて正面から認めた大阪地裁判決に、一筋の希望を見出すべく努めなければならない。

無償化適用を阻んだ「不逞鮮人」観

各地の高校無償化裁判で被告の国が主張している筋書きを簡単に述べると、「北朝鮮や朝鮮総聯」の「不当な支配」を受けている疑いがある朝鮮学校に就学支援金を支給すれば、支援金が「北朝鮮や朝鮮総聯」に流用される疑いがあるので朝鮮高級学校を不指定にした、というものである。広島と東京の判決はともにこれを追認し、原告敗訴の不当判決を下した。
しかし、このような国の主張はウソである。第2次安倍晋三政権は発足直後、まず朝鮮学校を高校無償化制度から排除するため、朝鮮高級学校の指定を念頭に置いた根拠規定を削除する文科省令改悪を行った。その理由が政治的外交的判断によることは、たとえば2012年12月28日の下村博文文部科学大臣(当時)が記者会見で「朝鮮学校については拉致問題の進展がないこと、朝鮮総連と密接な関係にあり、教育内容、人事、財政にその影響が及んでいること等から、現時点での指定には国民の理解が得られず、不指定の方向で手続を進め」ると述べたことなどから、火を見るよりも明らかである。「不当な支配」云々は、政治的外交的理由による根拠規定削除の措置が教育の機会均等をうたった無償化制度の目的に反することを、政府自身がよく知っていたために後付けした理屈に過ぎない。
だが審理の過程で、国側は根拠規定の削除に争点が集中することを避けるため、多くが伝聞情報に過ぎない産経新聞の報道や、治安管理政策の意義を強調するための公安調査庁の報告書などをもとに、朝鮮学校の教育が朝鮮総聯の「不当な支配」のもとで実施されていると強調した。とくに公安調査庁の報告書は、朝鮮学校教職員・生徒や日本人支援者の高校無償化適用を訴える活動さえ、朝鮮総聯の使嗾によるものと決めつけている。そして広島・東京両地裁は、こうした公安機関の偏見に満ちた「分析」をも「法によって設置された国家機関であり……一定の調査、分析能力を備えた組織」によるものと認め、証拠として採用したのである。
このように高校無償化制度不適用という朝鮮学校への差別政策を正当化したのは、実に国家による治安管理の思想であった。本来、教育行政のあり方をめぐる争いであったはずのこの裁判を、在日朝鮮人に対する治安対策という論点へと引きずり込もうとしたのが国側の戦略であった。つまるところ日本の公安機関に戦前以来、根強く巣くう「不逞鮮人」観にもとづく差別意識が、朝鮮高級学校への無償化適用を阻む壁として立ちはだかったのである。

「結論ありき」の国策判決

もちろん、かりに「不当な支配」について云々したとしても、朝鮮学校が就学支援金を不正受給する「疑いがある」というだけで、不指定が正当化されることなどあってはならない。しかし結局、広島・東京両地裁は国側の思惑に乗った判決を下した。
とくに東京の原告弁護団は、朝鮮高級学校が無償化制度から排除された過程を綿密に分析し、また証人尋問では文科省の当時の担当者を徹底的に追い込んで、朝鮮高級学校の根拠規定を削除し不指定とした真の理由が、政治的外交的判断によることを論証した。朝鮮高級学校に対する不指定が違法であることの動かぬ証拠を突きつけたのだ。
ところが「不当な支配」論に与した東京地裁は、治安政策的な観点から文科大臣の判断を適法と認め、政治的外交的判断による根拠規定削除については明確な理由を示さないまま「判断する必要がない」と突き放した。原告弁護団の主たる主張は無視し、全く応答しない侮辱的で無礼きわまりない「結論ありき」の判決だったのだ。任期が十分に残っていたはずの前裁判官が、結審直前に交代させられるという異例の措置に対して、疑いの目が向けられるのも当然である。
それでも東京地裁の場合は、文部科学大臣の判断を「不合理なものとまで言うことはできず」と述べるにとどまっていた。ところが広島地裁では、朝鮮学園が「過剰に就学支援金を代理受領」した場合でも「不当な働きかけ等により」「そのような事態が公にならない可能性も否定できない」という国の主張を「証拠により、認めることができる」とまで言い切っているのである。つまり広島判決は事実上「朝鮮人は信用できないから就学支援金を支給できない」と述べているに等しく、判決当日夕方に開かれた判決報告集会で、足立修一・原告弁護団長が「朝鮮学校の子どもたちに対する差別意識丸出しのヘイト判決」と厳しく指弾したのも当然であろう(「広島“ヘイト判決”:逆転勝利を誓った再出発の日」『月刊イオ』第22巻第9号、2017年9月、7頁)。

大阪判決の歴史的意義

一方で、大阪地裁は国に対し、大阪朝鮮高級学校への就学支援金支給に関する不指定処分の取消しと、同校への指定を命じる原告全面勝訴の判決を言い渡した。争点となった朝鮮高級学校指定に係る根拠規定削除については、下村文科大臣が裁量権を逸脱、濫用したもので違法であるとし、また大阪朝鮮高級学校は適正な学校運営を求めた「規程」第13条に適合するという判断を示した。「不当な支配」に関わる国側の主張は退けられ、広島・東京判決とは正反対の、歴史に記されるべき画期的な判決が宣告されたのである。
判決は、下村文部科学大臣が「教育の機会均等の確保とは無関係な外交的、政治的判断に基づいて」根拠規定を削除したことは、高校無償化法に定められた委任の趣旨を逸脱していると明確に認定した。また「規程」第13条適合性の判断、とくに「不当な支配」の判断について、文部科学大臣の裁量権は認められず、この争点に関わる国の主張の多くが「合理的根拠に基づくものであることの主張立証がない」と結論づけた。
そのうえで判決は、朝鮮学校と朝鮮総聯との関係、在日朝鮮人にとっての民族教育の意義を次のように述べている。
……朝鮮総聯は、第二次世界大戦後の我が国における在日朝鮮人の自主的民族教育が様々な困難に遭遇する中、在日朝鮮人の民族教育の実施を目的の1つとして結成され、朝鮮学校の建設や学校認可手続などを進めてきたのであり、朝鮮学校は朝鮮総聯の協力の下、自主的民族教育施設として発展してきたということができるのであって……このような歴史的事情等に照らせば、朝鮮総聯が朝鮮学校の教育活動又は学校運営に何らかの関わりを有するとしても、両者の関係が我が国における在日朝鮮人の民族教育の維持発展を目的とした協力関係である可能性は否定できず、両者の関係が適正を欠くものと直ちに推認することはできない。また、朝鮮高級学校は、在日朝鮮人子女に対し朝鮮人としての民族教育を行うことを目的の1つとする外国人学校であるところ……母国語と、母国の歴史および文化についての教育は、民族教育にとって重要な意義を有し、民族的自覚及び民族的自尊心を醸成する上で基本的な教育というべきである。そうすると、朝鮮高級学校が朝鮮語による授業を行い、北朝鮮の視座から歴史的・社会的・地理的事象を教えるとともに北朝鮮を建国し現在まで統治してきた北朝鮮の指導者や北朝鮮の国家理念を肯定的に評価することも、朝鮮高級学校の上記教育目的それ自体には沿うものということができ、朝鮮高級学校が北朝鮮や朝鮮総聯からの不当な支配により、自主性を失い、上記のような教育を余儀なくされているとは直ちに認め難い。
このように大阪地裁判決は、司法の場で朝鮮学校における民族教育の意義が初めて正面から認められた歴史的な判決となった。

新たな段階に入った裁判闘争

広島・東京の判決は、行政の朝鮮学校差別政策を、司法が自らの権威や信頼性を損なうことも厭わずに、杜撰な論理で追認するものだった。このような不当判決を許してしまえば、日本国家は自らが恣意的に「反日」のレッテルを貼った個人、集団に対し、安心して差別政策を取ることだろう。裁判に訴えられたとしても、司法が正当化してくれるのだから。
すなわち朝鮮高級学校への無償化制度不適用は、もはや民族差別という枠組みにとどまらず、日本の民主主義や人権、そして司法の独立が重大な危機を迎えていることを、白日の下にさらしたのである。不当判決を下した裁判官は、恥ずべき国策判決の張本人として歴史の1ページに記録されることを自覚しなければならない。
とくに大阪で画期的な判決が出た後だけに、権力のお膝元である首都東京の判決内容は異常さが際立つことになった。排外主義を煽って差別政策を正当化しようとする国の意思はすでに明白である。無償化裁判の行方に対する日本社会の関心は必ずしも高いとは言えないものの、全国紙の朝日新聞のほか、東京新聞、神奈川新聞、信濃日日新聞、京都新聞などの地方紙は東京判決の不当性を厳しく批判する社説や解説記事を掲載している。
さて広島では8月1日に、東京では9月25日に原告が控訴し、朝鮮学校の関係者や支援者たちは不屈の闘志をもって、逆転勝訴に向けての活動をはじめている。一方、大阪判決に対しては8月10に国が控訴しており、国家の総力を挙げての攻撃が予想される。また来年には、愛知と九州で判決が言い渡される見込みである。
闘いはまだまだこれからだ。