250回目の火曜日行動

  • この春、大阪朝鮮高級学校を巣立った卒業生が、後輩たちのためにこの日も街頭に立ちます。

■2012年4月17日、同じ火曜日の同じ時刻、同じ府庁の前で「火曜日行動」は始まりました。 ひと月前の3月1日、朝鮮学校関係者・支援する会・弁護士ら三者の呼びかけで結成された「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」が速やかな「高校無償化」の適用と補助金再開を実現するために始めました。

■これ以前にも、朝鮮学校支援のための集会を何度も開き、街頭でのビラ配りや宣伝活動を行ってきましたが、朝鮮学校の子どもたちを苦しめている差別の実態を「より継続的に可視化」し、府庁の職員たちに直接呼びかけようと始まった行動です。活動内容のヒントとなったのは日本軍「慰安婦」制度被害者(日本軍性奴隷制被害者)のハルモニたちや支援者たちが毎週水曜日にソウル日本大使館前で行っている「水曜デモ」でした。

■第2次安倍政権発足と、当時の橋下大阪市長の政治的発言に端を発する「朝鮮学校に対する仕打ちは暴力。1948年の教育闘争の時と何も変わっていない。」と参加者の日本人女性は憤ります。そして「(高校無償化や補助金を)勝ち取るまで続ける」と語りました。しかし、開始当時から参加し続けている支援者たちは皆一様に「これほど長く続けなければならないとは思いもしなかった。この火曜日行動が続くと言う事は政府や行政がそれだけ罪を重ねると言う事だ。恥ずかしいことだ。」と言います。

■晴れた日ばかりではありませんでした。雨の日に、傘を差していては配れないと、カッパでチラシをかばいながら活動を続けた参加者がいました。。真冬の寒風でかじかむ手に息を吹きかけながらアピールを続けた参加者もいました。真夏の炎天下でしたたる汗も拭おうとせず、幼子を連れて府庁前に立ち続けた参加者もいました。

■2016年1月5日、年明け最初の「火曜日行動」で松井知事から暴言を受けた参加者がいます。生後半年の我が子を抱いて府庁前に立った在日同胞である彼女は、庁舎に戻ってきた松井知事に偶然出くわし「この子に学ぶ権利はないのですか?」と問いかけました。すると知事は足早に通り過ぎながら「ない!!」と吐き捨てました。また、2017年5月30日には、初めて参加した女性が手渡そうとしたチラシを強く叩き「いまだにこんな事してるのか!差別、今さら!!」と怒鳴りつけられる事件が起こりました。その男性の胸には府の職員であることを示すプレートがかかっていました。

■250回の節目を迎えた今もなお、朝鮮学校への差別と迫害は続いています。一番最初の「火曜日行動」の日、参加者の誰かが言った様に、朝鮮学校で学ぶ子どもたちの民族教育が認められ、すべての子どもたちが等しく学べる日が来るまで「火曜日行動」は続くでしょう。