2018年11月23日、上本町のホテルアウィーナ大阪で「大村淳さんを偲ぶ会」が開かれました。
「城北ハッキョを支える会」の代表として、ひたすらに差別を許さず、子どもたちを愛し続けた大村さんの様々な活動と慈愛に満ちた人柄をふり返り、その功績を讃えるため、6名の実行委員たちが準備した会には多くの人が参加しました。
会では先ず、大村淳さんの遺影が飾られた献花台に参加者全員が一輪ずつ花を手向けました。深く一礼し、写真に写った笑顔の淳さんを見つめ涙する人、何かを語りかける人、皆それぞれ淳さんとの思い出をたどるように献花をしました。
そして、「火曜日行動」を通じて親交の深かった許玉汝さんが自作の追悼詩を朗読されました。語りかけるように詠まれた詩には、淳さんへの深い敬愛と早すぎる死を悼む心情が込められていました。
その後、実行委員会からの挨拶やスピーチがありました。生前の淳さんと深く関わった方々のスピーチからは、淳さんの温かい人柄が偲ばれ、差別と闘い続けた淳さんの思いが改めて深く感じられました。
ある人は、枚方市内の公立中学校で淳さんが社会科教員として教壇に立たれた頃の心温まるエピソードを語りました。何よりも生徒たちを大切にした淳さんの教育にかける思いが、後の朝鮮学校支援活動に引き継がれたのだということがよくわかる逸話の数々でした。また、ある人は、退職後に様々な市民運動、社会活動に取り組まれた淳さんの行動力と熱い心をふり返りました。権力者の傲慢、無知から来る心ない偏見や差別を決して許さない毅然とした淳さんの強さ、誰にでも笑顔で接し、優しい言葉をかけてくれた淳さんの温かさが全ての参加者たちに染み渡るようでした。
淳さんとのかけがえのない思い出が語られた後、城北朝鮮初級学校の児童たちが歌を歌いました。同校・高暢佑校長と許玉汝さんが作詞、金文淑さんが作曲した淳さんの歌です。曲目は「大村すなお先生」。淳さんの優しさに触れた子どもたちの素朴な心情で「城北のハラボジ(おじいさん)すなお先生コマプスムニダ(ありがとうございます)」と歌いました。
その後、城北朝鮮初級学校の先生方が歌を披露し、参加者全員が歌い、踊りながら明るく賑やかに淳さんを送りました。
朝鮮学校の子どもたちをはじめとするすべての子どもたちが等しく学べる社会を築くための活動を通じて結ばれた私たちの心は、大村淳さんにより更に深く、更に強く結ばれました。
この日、私たちが新たな決意を淳さんに誓ったように、これからも淳さんの遺志は多くの人に受け継がれてゆくでしょう。