カナダはバンクーバーで2007年に設立された「Peace Philosophy Centre(ピース・フィロソフィー・センター)が、朝鮮学校のみを「高校無償化」制度から除外している日本政府の態度は明らかな差別だとして、「朝鮮学校を『高校無償化』の適用外としていることに反対するカナダ市民・住民の声明」を出し、制度適用を求める署名をネット上で始めました。
声明文は英語版、フランス語版、日本語版があり、同センターのWebサイトに紹介されています。
また、ネット上からこの声明への「賛同」を表明できる様になっており、メールの「雛形」も掲載されています。
「すべての子どもたちに等しく学ぶ権利を!」
普遍的な教育の権利を求める私たちの願いを世界中に広めましょう!
でも、締め切り日が3月22日です。あまり猶予がありません。
ぜひ皆さん、アクセスして下さい!!
http://peacephilosophy.blogspot.jp/
朝鮮学校を「高校無償化」の適用外としていることに反対するカナダ市民・住民の声明
2018年3月25日
内閣総理大臣 安倍晋三殿
文部科学大臣 林芳正殿
2010年に施行された「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律(以下「高校無償化法」と言う)」により、私立高校はもとより、各種学校の認可を受けた外国人学校の高校生も就学支援金を支給されるようになった。それは、その法の第一条に、“高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等などに寄与することを目的とする”と書かれているからである。しかるに、外国人学校の中の朝鮮学校のみが、この制度の適用から外されたまま今日に至っている。この処分を違法として、朝鮮学校の卒業生や経営母体の学校法人が日本国を相手取って、全国5か所で裁判を起こしているが、今までのところ、大阪地裁が全面的に原告の訴えを認めて、日本国の処分を違法とし、処分取り消しを言い渡した一方で、広島地裁と東京地裁では、同処分が文科相の裁量の範囲内として、適法としている。
朝鮮学校のみを「高校無償化」から外しているこの問題について、私たち、日本に多大の関心を抱くカナダ市民・住民(日系カナダ市民であったり、日本を研究対象とする研究者であったり、その他さまざまな理由による)は、憂慮し続けてきた。そして、カナダ市民・住民であるからこそ言える、この問題に関する意見があるのではないかと気付き、声明を出すことにした。
カナダは世界各地からの移民、難民を受け入れてきて、多民族、多文化、多言語などの多様性を国の豊かさと認めている国である。しかし、この国の歴史を見れば、始めからそうだった訳ではない。例えば、日系カナダ人は第二次世界大戦時に「敵性外国人」として強制収容され、終戦後まで収容所生活を余儀なくされた。カナダ先住民は1870年代から100年以上に亘って、子どもを家族から離して、寄宿学校に送られ、先住民の文化から切り離し、キリスト教系カナダの文化、言語を学ぶことを強制された。このような、ある人種、民族グループに対する 国家による組織的差別がいかに被害者の尊厳を根底から傷つけ、その人生を後々にいたるまで、崩壊させ、家族やコミュニティーに修復不可能なほどの被害をもたらすかは、カナダの場合、公的な資料館が膨大な資料、証言を保存し、公開しているので、私たちはつぶさに知ることができる。
また、このような差別が存在することで、その社会全体の道義が著しく歪められることも資料から読み取ることができる。学校でも、まだ不十分ではあるが、これらの負の歴史は教えられている。そして、遅すぎたとは言え、日系カナダ人の強制収容については、1988年に、カナダ先住民の寄宿学校については、2008年に、それぞれ当時の首相が、それぞれのコミュニティーの代表を前にして、正式な謝罪をし、象徴的なものとはいえ、個人とコミュニティーの両方に対する賠償も行った。カナダ先住民の場合、被害を受けた期間があまりに長かったために、その深く、大きな傷はまだ到底、癒えるところまでは行っていないし、社会の歪みが完全に消えたわけでもない。しかし、カナダ人が先住民を見る目は、確実に変わりつつある。先住民出身の大臣、国会議員、州議会議員もいるし、先住民について学べる機会も増えている。日系カナダ人については、実際に収容所生活を経験した一世、二世世代には、その影響は今も残っているが、若い世代に、負の歴史の傷痕を見つけるのは難しい。人間の社会は、どこでも、克服すべき差別問題を抱えていると思う。 しかし、政府が間違いを認め、謝罪することで、社会全体が少しずつでも公正な方向に行くことを、私たちは見てきたと言える。
カナダ市民・住民である私たちからは、朝鮮学校のみを無償化適用から外している今の日本は、政府自らが、民族差別を公然と行っているとしか見えない。2012年末に、発足直後の第二次安倍内閣の下村博文文部科学相(当時)が、「拉致問題に進展がないことや、朝鮮総連との密接な関係があり、現時点で、無償化を適用することは国民の理解を得られない」と朝鮮学校を制度から除外する理由を記者会見で説明していることから、この処分が政治問題と関連付けて決定されたことは明らかである。大阪地裁判決は“教育の機会均等とは無関係な、外交的、政治的意見に基づき、朝鮮高級学校を無償化法の対象から外すために、、、、”と、政治的判断であることを認めた上で、処分を違法、無効としている。私たちは、この大阪地裁判決を全面的に支持する。
また、この一連の朝鮮学校無償化適用外しの問題の報道の中で、私たちが、一つ奇異に感じることは、在日朝鮮、韓国人の歴史的背景、朝鮮学校の成り立ちなどに関して、あまり触れられていないことだ。大阪地裁は、この点でも優れていて、歴史的なことと、朝鮮学校で言語教育、民族教育をする必要性について言及しているが、広島、東京地裁の判決は、その点について、全く触れていない。1910年の韓国併合条約の強要で、朝鮮半島を植民地支配した日本は、朝鮮人から土地を奪い、同化政策で言語を奪い、創氏改名で、名前まで奪った。この政策は1945年の日本の敗戦まで続いた。この為、自国での生活手段を失ったりした人たちが、大量に日本に入った。1939年からは、朝鮮人の強制徴用が始まった。アジアへの侵略戦争に全面的にのり出した日本が、戦争に因る労働力不足を徴用で補うために連行したのだ。
敗戦までに徴用された人は100万人を超えるが、過酷な労働と待遇で、命を落とした人も多い。このようにして、敗戦時に、日本に暮らしていた朝鮮の人は230万人以上いた。日本の敗戦で、解放された祖国に怒涛のように帰国する人が続いたが、約50万人は日本に残った。その人たちとその子孫が、現在の在日韓国、朝鮮人である。その人たちが、失った言語や民族の尊厳や歴史を子どもたちに教えるために、寺子屋のような学校を各地で作ったのが、朝鮮学校の始まりである。この歴史を考えれば、外国人学校にも就学支援金支給が決まった段階で、真っ先に適用対象とすべきだったのは、各地の朝鮮学校だったはずだ。また、政府は朝鮮半島植民地支配の歴史資料全てを誰でもが読める場所に公開すべきである。それを知った上で、朝鮮学校のみ適用外を支持するほど、日本の人びとが愚かだとは思えない。
国連の社会権規約委員会、人種差別撤廃委員会等がこの朝鮮学校無償化適用外問題や、これに誘発されて始まった、地方自治体の朝鮮学校への助成金の停止などついて、繰り返し、是正勧告を発したり、日本政府の行為を懸念する所見を出している。これが世界の常識である。政府が数ある外国人学校の中から、朝鮮学校の生徒のみに就学支援金を支給しない、自治体が朝鮮学校のみ、教育助成金を停止する、一部のメディアが朝鮮学校に関する、虚偽に満ちたネガティブキャンペーンを堂々としている、街中で、朝鮮学校や朝鮮人に対するヘイトデモが行われる、小学生の通う朝鮮学校への襲撃事件さえ起きる。これらは、世界の人権感覚からすれば、公権力による人種差別と、それによって道義を歪められた社会の姿以外の何ものでもない。日本の人は、この問題を他人事と思って傍観していてはいけない。自分達の社会の在り方自体を問われている問題なのだ。
朝鮮学校の生徒たちは、既に四世の世代で、朝鮮籍、韓国籍、日本籍と様々だそうだ。籍がどこにあっても、この子たちは、紛う方ない日本社会の子どもである。この人たちが安心して暮らし、自分の望む教育を受けられるようにするのは、日本政府の義務であるが、この当然のことが当然として通る社会を作るのは、そこに住む全ての大人の責任である。公正で、世界に通用する人権感覚の社会に育つことができるかどうかは、日本に住む、全ての子どもに関わる問題であるのだから。
朝鮮高級学校にも、「高校無償化」制度を直ちに適用することを強く訴え、その為に日本で闘っている全ての人に連帯する。