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補助金裁判控訴審第2回口頭弁論

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今年1月26日、差別的な「不当判決」が下された「大阪府・大阪市補助金裁判」が大阪高裁へと闘いの舞台を移し、去る8月7日に始まった控訴審。その第2回目となる口頭弁論が来たる12月6日(水)、午前11時から202号大法廷で開かれます。

前回、原告大阪朝鮮学園は、控訴理由書を軸に要旨陳述を行いました。二人の弁護士が行なった陳述はいずれも、被告大阪府と大阪市の矛盾する主張を追認しただけの不当判決を厳しく指弾する内容となりました。

今回、原告弁護団は、先の無償化裁判判決文に示された補助金支給に関連する記述内容をもって主張を補充し、教育学の専門家(駒込武京都大学大学院教授)による「私立学校振興助成法」に関する意見書を提出する予定です。

大阪地裁の不当判決から一年近く。7月の広島・無償化裁判と9月の東京・無償化裁判。子どもたちの「学ぶ権利」を侵害し、笑顔を踏みにじる国や行政の振る舞いを糾すことなく追認した司法の不当な判断を断じて忘れることはできません。
そして、7月28日に大阪・無償化裁判で勝ち取った正義を今一度、司法の場で示さなければなりません。
子どもたちの「等しく学ぶ権利」を守る一心で法廷を埋め尽くしましょう!!

◆ 12月6日(水)、傍聴券の交付が午前10時20分から始まります。※配布時間が10分しかありません。10時30分には締め切られます!ご注意ください!

◆ 閉廷後、大阪弁護士会館に場所を移し報告会が行われます。弁護団から詳しい解説と今後の方針などが語られます。もちろん参加無料です。ぜひご参加ください。

◆ 翌週の12月14日(木)、11時から大阪高裁202号大法廷で「高校無償化」裁判控訴審が始まります!

今こそ、闘いの正念場、子どもたちの笑顔と希望のために立ちあがる時です!みなさん、是非法廷にお集まりください!!

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イオ編集部が「高校無償化裁判」の書籍を出版

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・大阪地裁での歴史的「全面勝訴判決」を他の裁判闘争と全国の朝鮮学校支援の運動に広めよう!

『大阪で歴史的勝訴――高校無償化裁判 たたかいの記録vol.2』

高校授業料無償化・就学支援金支給制度から排除された朝鮮高校の生徒らが国を相手取って裁判を起こしてから4年半。日本全国5ヵ所で係争中の裁判のうち、今年に入って広島、大阪、東京の各地裁で判決が下されました。

7月28日には、大阪では大阪朝鮮高級学校を就学支援金の支給対象に指定するよう国側に命じる原告全面勝訴の判決が言い渡され、一方、広島と東京では原告全面敗訴の判決が下りました。

イオ編集部は、大阪での歴史的な勝訴判決を受けて、15年7月に出版した『高校無償化裁判~249人の朝鮮高校生 たたかいの記録』の続編を出版します。

書籍タイトルは、『大阪で歴史的勝訴――高校無償化裁判 たたかいの記録vol.2』

本書では、大阪、東京、広島の各裁判の判決当日のルポや判決要旨、解説を、地裁審理が継続中の愛知、九州の裁判については現状を整理。裁判に関する基本情報をまとめたQ&Aや大阪と東京の原告側弁護士の対談も収録しています。

完成は東京で「朝鮮学校の子どもたちに学ぶ権利を!全国集会」が開かれる10月25日。

地裁から高裁へと裁判はまだ続きます。最終的な勝訴に向けて、無償化裁判のすべてがわかる本書をぜひご活用ください。

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書籍タイトル:『大阪で歴史的勝訴――高校無償化裁判 たたかいの記録vol.2』
月刊イオ編集部編○発行:樹花舎、発売:星雲社 500円+税、A5版、80ページ

※詳細は「日刊イオ」のサイトで → http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/10777d8a7da831d11ddf136ea0b3847c

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全面勝訴と最悪の不当判決

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韓国のインターネット新聞『PRESSian(プレシアン)』2017年10月3日付に掲載された「無償化連絡会・大阪」藤永壯共同代表の文です。
ご本人の承諾をいただき、日本語オリジナル原稿(一部修正)を全文ご紹介します。

 

全面勝訴と最悪の不当判決 ~判断の分かれた朝鮮学校「無償化」裁判~

日本政府が教育の機会均等を目的に創設した「高校無償化」制度の適用対象から、日本全国に10校ある朝鮮高級学校の生徒だけを除外したのが2013年2月。あれからすでに4年半の歳月が経過した。
この不当な差別措置に抗議して、大阪、愛知、広島、九州、東京の5つの朝鮮高級学校の生徒あるいは学校法人が、国を相手に訴訟を起こした。長く困難な裁判闘争の末、今年に入ってようやく広島、大阪、東京の3地域の地方裁判所で判決が宣告されている。このうち大阪の判決(7月28日)では原告が全面勝訴する画期的な成果を収めたものの、広島(7月19日)と東京(9月13日)では原告敗訴の不当判決が言い渡される正反対の結果となった。
私は日帝植民地支配の時期を中心とする朝鮮近現代史の研究者であり、日本の朝鮮に対する植民地支配政策の犯罪性については熟知している。また在日朝鮮人に対する日本政府の容赦ない弾圧、抑圧の歴史についても頭では理解しているつもりであった。しかしこのたびの各地の裁判の進行過程や結果を見ながら、日本国家がまさしく植民地主義的な価値判断基準から、手段と方法を選ばずに在日朝鮮人の民族教育を否定しようとする姿に、自らの認識の甘さを痛感しているところである。私は民族差別政策の何たるかを、実はまるで理解していなかったのだ。しかしだからこそ、司法が民族教育の意義を初めて正面から認めた大阪地裁判決に、一筋の希望を見出すべく努めなければならない。

無償化適用を阻んだ「不逞鮮人」観

各地の高校無償化裁判で被告の国が主張している筋書きを簡単に述べると、「北朝鮮や朝鮮総聯」の「不当な支配」を受けている疑いがある朝鮮学校に就学支援金を支給すれば、支援金が「北朝鮮や朝鮮総聯」に流用される疑いがあるので朝鮮高級学校を不指定にした、というものである。広島と東京の判決はともにこれを追認し、原告敗訴の不当判決を下した。
しかし、このような国の主張はウソである。第2次安倍晋三政権は発足直後、まず朝鮮学校を高校無償化制度から排除するため、朝鮮高級学校の指定を念頭に置いた根拠規定を削除する文科省令改悪を行った。その理由が政治的外交的判断によることは、たとえば2012年12月28日の下村博文文部科学大臣(当時)が記者会見で「朝鮮学校については拉致問題の進展がないこと、朝鮮総連と密接な関係にあり、教育内容、人事、財政にその影響が及んでいること等から、現時点での指定には国民の理解が得られず、不指定の方向で手続を進め」ると述べたことなどから、火を見るよりも明らかである。「不当な支配」云々は、政治的外交的理由による根拠規定削除の措置が教育の機会均等をうたった無償化制度の目的に反することを、政府自身がよく知っていたために後付けした理屈に過ぎない。
だが審理の過程で、国側は根拠規定の削除に争点が集中することを避けるため、多くが伝聞情報に過ぎない産経新聞の報道や、治安管理政策の意義を強調するための公安調査庁の報告書などをもとに、朝鮮学校の教育が朝鮮総聯の「不当な支配」のもとで実施されていると強調した。とくに公安調査庁の報告書は、朝鮮学校教職員・生徒や日本人支援者の高校無償化適用を訴える活動さえ、朝鮮総聯の使嗾によるものと決めつけている。そして広島・東京両地裁は、こうした公安機関の偏見に満ちた「分析」をも「法によって設置された国家機関であり……一定の調査、分析能力を備えた組織」によるものと認め、証拠として採用したのである。
このように高校無償化制度不適用という朝鮮学校への差別政策を正当化したのは、実に国家による治安管理の思想であった。本来、教育行政のあり方をめぐる争いであったはずのこの裁判を、在日朝鮮人に対する治安対策という論点へと引きずり込もうとしたのが国側の戦略であった。つまるところ日本の公安機関に戦前以来、根強く巣くう「不逞鮮人」観にもとづく差別意識が、朝鮮高級学校への無償化適用を阻む壁として立ちはだかったのである。

「結論ありき」の国策判決

もちろん、かりに「不当な支配」について云々したとしても、朝鮮学校が就学支援金を不正受給する「疑いがある」というだけで、不指定が正当化されることなどあってはならない。しかし結局、広島・東京両地裁は国側の思惑に乗った判決を下した。
とくに東京の原告弁護団は、朝鮮高級学校が無償化制度から排除された過程を綿密に分析し、また証人尋問では文科省の当時の担当者を徹底的に追い込んで、朝鮮高級学校の根拠規定を削除し不指定とした真の理由が、政治的外交的判断によることを論証した。朝鮮高級学校に対する不指定が違法であることの動かぬ証拠を突きつけたのだ。
ところが「不当な支配」論に与した東京地裁は、治安政策的な観点から文科大臣の判断を適法と認め、政治的外交的判断による根拠規定削除については明確な理由を示さないまま「判断する必要がない」と突き放した。原告弁護団の主たる主張は無視し、全く応答しない侮辱的で無礼きわまりない「結論ありき」の判決だったのだ。任期が十分に残っていたはずの前裁判官が、結審直前に交代させられるという異例の措置に対して、疑いの目が向けられるのも当然である。
それでも東京地裁の場合は、文部科学大臣の判断を「不合理なものとまで言うことはできず」と述べるにとどまっていた。ところが広島地裁では、朝鮮学園が「過剰に就学支援金を代理受領」した場合でも「不当な働きかけ等により」「そのような事態が公にならない可能性も否定できない」という国の主張を「証拠により、認めることができる」とまで言い切っているのである。つまり広島判決は事実上「朝鮮人は信用できないから就学支援金を支給できない」と述べているに等しく、判決当日夕方に開かれた判決報告集会で、足立修一・原告弁護団長が「朝鮮学校の子どもたちに対する差別意識丸出しのヘイト判決」と厳しく指弾したのも当然であろう(「広島“ヘイト判決”:逆転勝利を誓った再出発の日」『月刊イオ』第22巻第9号、2017年9月、7頁)。

大阪判決の歴史的意義

一方で、大阪地裁は国に対し、大阪朝鮮高級学校への就学支援金支給に関する不指定処分の取消しと、同校への指定を命じる原告全面勝訴の判決を言い渡した。争点となった朝鮮高級学校指定に係る根拠規定削除については、下村文科大臣が裁量権を逸脱、濫用したもので違法であるとし、また大阪朝鮮高級学校は適正な学校運営を求めた「規程」第13条に適合するという判断を示した。「不当な支配」に関わる国側の主張は退けられ、広島・東京判決とは正反対の、歴史に記されるべき画期的な判決が宣告されたのである。
判決は、下村文部科学大臣が「教育の機会均等の確保とは無関係な外交的、政治的判断に基づいて」根拠規定を削除したことは、高校無償化法に定められた委任の趣旨を逸脱していると明確に認定した。また「規程」第13条適合性の判断、とくに「不当な支配」の判断について、文部科学大臣の裁量権は認められず、この争点に関わる国の主張の多くが「合理的根拠に基づくものであることの主張立証がない」と結論づけた。
そのうえで判決は、朝鮮学校と朝鮮総聯との関係、在日朝鮮人にとっての民族教育の意義を次のように述べている。
……朝鮮総聯は、第二次世界大戦後の我が国における在日朝鮮人の自主的民族教育が様々な困難に遭遇する中、在日朝鮮人の民族教育の実施を目的の1つとして結成され、朝鮮学校の建設や学校認可手続などを進めてきたのであり、朝鮮学校は朝鮮総聯の協力の下、自主的民族教育施設として発展してきたということができるのであって……このような歴史的事情等に照らせば、朝鮮総聯が朝鮮学校の教育活動又は学校運営に何らかの関わりを有するとしても、両者の関係が我が国における在日朝鮮人の民族教育の維持発展を目的とした協力関係である可能性は否定できず、両者の関係が適正を欠くものと直ちに推認することはできない。また、朝鮮高級学校は、在日朝鮮人子女に対し朝鮮人としての民族教育を行うことを目的の1つとする外国人学校であるところ……母国語と、母国の歴史および文化についての教育は、民族教育にとって重要な意義を有し、民族的自覚及び民族的自尊心を醸成する上で基本的な教育というべきである。そうすると、朝鮮高級学校が朝鮮語による授業を行い、北朝鮮の視座から歴史的・社会的・地理的事象を教えるとともに北朝鮮を建国し現在まで統治してきた北朝鮮の指導者や北朝鮮の国家理念を肯定的に評価することも、朝鮮高級学校の上記教育目的それ自体には沿うものということができ、朝鮮高級学校が北朝鮮や朝鮮総聯からの不当な支配により、自主性を失い、上記のような教育を余儀なくされているとは直ちに認め難い。
このように大阪地裁判決は、司法の場で朝鮮学校における民族教育の意義が初めて正面から認められた歴史的な判決となった。

新たな段階に入った裁判闘争

広島・東京の判決は、行政の朝鮮学校差別政策を、司法が自らの権威や信頼性を損なうことも厭わずに、杜撰な論理で追認するものだった。このような不当判決を許してしまえば、日本国家は自らが恣意的に「反日」のレッテルを貼った個人、集団に対し、安心して差別政策を取ることだろう。裁判に訴えられたとしても、司法が正当化してくれるのだから。
すなわち朝鮮高級学校への無償化制度不適用は、もはや民族差別という枠組みにとどまらず、日本の民主主義や人権、そして司法の独立が重大な危機を迎えていることを、白日の下にさらしたのである。不当判決を下した裁判官は、恥ずべき国策判決の張本人として歴史の1ページに記録されることを自覚しなければならない。
とくに大阪で画期的な判決が出た後だけに、権力のお膝元である首都東京の判決内容は異常さが際立つことになった。排外主義を煽って差別政策を正当化しようとする国の意思はすでに明白である。無償化裁判の行方に対する日本社会の関心は必ずしも高いとは言えないものの、全国紙の朝日新聞のほか、東京新聞、神奈川新聞、信濃日日新聞、京都新聞などの地方紙は東京判決の不当性を厳しく批判する社説や解説記事を掲載している。
さて広島では8月1日に、東京では9月25日に原告が控訴し、朝鮮学校の関係者や支援者たちは不屈の闘志をもって、逆転勝訴に向けての活動をはじめている。一方、大阪判決に対しては8月10に国が控訴しており、国家の総力を挙げての攻撃が予想される。また来年には、愛知と九州で判決が言い渡される見込みである。
闘いはまだまだこれからだ。

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朝鮮学校の無償化判決、速やかに支給を

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無償化連絡会・大阪の藤永壯共同代表が知らせて下さった「朝鮮学校高校無償化裁判」に関するブログ記事。
書いたのは、元NHK解説員・アナウンサーで、厚生労働大臣や内閣府特命担当大臣などを務めた経歴を持つ元政治家の小宮山洋子氏。
8月1日、自らのブログに大阪での「高校無償化裁判」判決を評価し、「朝鮮学校の無償化判決、速やかに支給を」と題して以下のように記した。

……
判決は、判断は文部科学大臣の裁量に委ねるべきではなく、裁量を許せば、逆に行政権力による教育への過度な介入の容認につながると懸念を示しています。
各地で訴訟が起こされていますが、7月19日の広島地裁の判決では、学校側が敗訴しています。
判決後、菅官房長官は、控訴の意向をにじませた、とのこと。
大阪地裁の判決は、日本で学ぶすべての生徒に公平に教育の機会を与える、という制度の原点に立った判決、とみられています。
現在、朝鮮学校に通っている生徒は、日本で生まれ育った在日コリアン4世が中心です。
出自に関わらず、多様な人たちに、学ぶ機会を保障すること。
行政の過度な介入を許さず、教育現場の自主性を尊重すること。
そうした考え方が大切だと思います。
このあとも、東京、名古屋、福岡などで判決が予定されていますが、大阪地裁の判決をいかして、速やかに支給をしてほしいと願っています。

氏の願いもむなしく東京では不当な敗訴判決が下された。

多くの識者同様、小宮山氏はここで三つの重要なことを簡潔に述べている。
ひとつは、無償化制度から除外されている朝鮮学校の子どもたちは、今までも、この先もずっと共に暮らしてゆく日本社会の一員だということ。
そして、もうひとつは無償化の制度趣旨でも謳われているとおり「教育の機会均等」こそが同制度設立の目的であったはずだということ。
そして、最後のひとつは教育に対する自主性尊重の重要性。そもそも私学である朝鮮学校には「建学の精神」や「独自の教育理念」が保障されている。だからこそ「高校無償化制度」適用について諮る審査会でも「外形的要素」に限るとされていたはずだ。
しかし、現実にはこれら至極真っ当な訴えが法廷でないがしろにされてしまった。
法廷に出された被告の舌足らずな口実をかばい、補うような「追認判決」だった。
だが、法廷闘争はこれからも続く。
愛知、福岡の判決が控えており、広島、大阪、東京でも控訴審がいずれ始まる。
全国10校の朝鮮学園関係者と保護者、同胞たち、そして各地の無償化連絡会をはじめとする支援者たち、また、韓国から熱いエールを送ってくれる人たちが今まさに「大阪判決」の意義を、あの日司法が示した正当な判断を広めようと活動している。
子どもたちの「等しく学ぶ権利」を願う全てのちからが集まり、勝訴判決を勝ち取るまで決してあきらめずに闘い抜くだろう。

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東京無償化裁判、判決日のこと

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著書「ルポ 思想としての朝鮮籍」で知られるフリージャーナリストの中村一成さんが記した感想を以下に紹介します。

東京無償化裁判、判決日のこと

中村 一成・2017年9月20日

最悪の不当判決が言い渡された法廷や裁判所前の抗議行動、その日夜の報告集会の熱気について記録しました。そもそも雑誌原稿の草稿として書いていたのですけど、依頼されたより遥かに膨らみ、そのままでは使えなくなりました(それでも400字詰換算で15枚程度ですが)。メモの形で公開します。

・・・・・・・・・・・・・・・・以下

余りにも酷い光景だった。
入廷してきた田中一彦裁判長の「一刻も早くこの場を離れたい」と書いてあるような強張った顔に、続く言葉への不安がよぎる。それは最悪の形で的中した。
「原告らの請求をいずれも棄却する、訴訟費用は原告らの負担とする」。それだけを告げると法服を着た三人の役人は席を立ち、背後の扉へと逃げ込んで行った。判決要旨の朗読もない。この間10秒足らず。先立つメディアの廷内撮影には120秒使ったにもかかわらず。
「不当判決!」「無償化法に違反しとるじゃないか!」。傍聴席から怒号が飛んだのはその数秒後だった。この日、地裁に詰めかけた1600人だけではない。全国各地の生徒や保護者、学校関係者、支援者が抱いていた「大阪に続いて東京で勝ち、流れを変える」という願いが、わずか二行の読み上げで裏切られたのだ。茫然自失だった。
原告に立ったのは元生徒62人である。当然ながら裁判は何年もかかる。訴訟当事者になれば個人情報が相手に渡るのは避けられない。尋問に立つ可能性もあれば、将来に渡って如何なる不利益も蒙らないとは言い切れない。それら付き纏うリスクについて弁護団から幾度も説明を受けてもなお、数多くの生徒が勇気をもって名乗りを上げたのは、「自分たちの代でこんな差別は終わらせる、後輩に同じ思いはさせたくない」との一念だった。
法廷内には、多くの現役、元生徒が座っていた。この国で延々と続いて来た朝鮮学校差別への「否」を裁判官の口から聞き、仲間と笑顔をかわし、歓喜の涙を流し、手をとり合い、喜びを分かち合う……。そんな願いは暗転した。
東京朝高の慎吉雄校長が茫然とした顔で席に座り込んでいた。「勝ちの瞬間を子どもたちに見せたい」と、全校生徒を連れて傍聴に来ていたのである。排除から7年、提訴から4年半が経つ。この間、差別と闘ったのは在日同胞だけではない。多様な属性、異なる社会的立場にある者たちが集まり、「共生」「平等」への希求を分かち持ち、共に迎えたのがこの日だった。慎校長が子どもに見せたかった「勝ちの瞬間」とは、勝訴が告げられる、まさにその瞬間であると同時に、属性を超えた協働が為し得た達成の「瞬間」、一つの社会像が現前する「瞬間」だったのだろう。卒業して社会に羽ばたき、おそらくは今後も日本に根を張り、生きて行くだろう生徒たちに、傷つけられ続けてきたこの社会への「信頼感覚」を少しでも回復して欲しい。この社会を生きる「展望」を得て欲しい。そんな教育者の祈りは、この場では叶わなかった。唇を噛み締めて涙を流し続ける人、互いの腕を抱えながら辛うじて出口へと歩みを進める人びともいた。
そもそも無償化排除の端緒は、党内に反対意見に押され、朝鮮学校の指定を店晒しにした鳩山由紀夫首相(当時)をはじめとする民主党政権の良心も人権感覚も欠落した不甲斐ない態度だった。国だけではない。無償化排除への流れの中で、少なからぬ自治体が補助金の停止、廃止に踏み切るなど、国と共同歩調で「朝鮮学校潰し」を進めている現状がある。「北朝鮮に関係する者には何をしてもいい」。政府、自治体が率先して差別を煽動し、官民の間でレイシズムが循環増幅していく昨今の状況を考えれば、「平等」を求める広範な世論の形成も難しい。残るのは「司法」である。不正を公的に正す最後の手立てにかけた人びと、その思いに対する裁判所の「応答」がこれだった。
今回の集団訴訟は全国5カ所で取り組まれている。言うまでもなくそれは1940年代から続き、特に第二次安倍政権以降、激化の一途を辿る朝鮮学校差別への法的応戦である。「朝鮮学校、朝鮮人には何をしてもいい」との発想に待ったを掛け、子どもの学ぶ権利を守るという思いは各地に共通するが、一方で「闘い方」は地域で微妙に異なっている。
東京はいわば「禁欲路線」で闘ってきた。朝鮮学校の排除は露骨な差別であり、国際人権上の基本である「民族教育の権利」への侵害行為なのは疑うべくもない。これまで幾つかの戦後補償や在日外国人の人権保障を巡る裁判闘争を取材していた感覚からすれば、憲法や国際人権法を根拠にした主張を想像するのだが、東京ではいずれにも踏み込んでいない。それどころか朝鮮植民地支配と皇民化政策で奪われた言葉や文化を取り戻す営み、言い換えれば脱植民地主義、反レイシズムの具体化としてスタートした朝鮮学校の歴史や、弾圧の中で教育を守りぬいてきた正統、正当性を前面に掲げてはいない。
論点は、第二次安倍政権による朝鮮学校排除は「政治、外交的理由」に基づくもので、無償化の根拠法に定められた目的「教育の機会均等の確保」に反した違法行為であること。争点をそこに絞り込み、立証に全力で取り組んできた。ある意味、法廷で一番「言いたいこと」をあえて「我慢」したのである。端的にいえば、憲法や国際人権への言及を嫌がるような怠惰で保守的な裁判官――残念ながらこの類の裁判官は今も少なくない――であっても、原告勝訴の判決を「書き易い」方向を提示してきたのである。「絶対に負けられない裁判」をどう闘うのか、どうすれば「勝訴判決」に近づけるのか、その一点を考え抜いた末の、苦渋の選択だった。
原告側は、「下村博文氏が自民党野党時代にブログや機関誌に書き語った内容」、「議員立法で提出した朝鮮学校排除案」、「下村氏が文相就任時の記者会見で『拉致問題の進展がないこと』を先ず挙げて、「省令改正」で不指定にする方向と公言したこと(すなわち、朝鮮学校を制度の指定対象とする根拠規定(ハ)を削除する意味)」「わざわざ設けた専門家による審議会の結論を待たずに規定(ハ)の削除を指示したこと」などを次々に立証、これらを根拠に、排除は根拠法の趣旨に反した違法、無効なものなどと主張した。
特筆すべきは昨年2016年12月に実現させた、当時の文科省担当役人の尋問だ。国側が学校に出した不指定通知に記された理由は「(1)規定ハを削除した」「(2)規程第13条に適合すると認めるに至らなかった」の二点である。会見で大臣が言った「拉致問題云々」は消えていた。規程13条とは、規定(ハ)に関して設けられた別途規定で、「法令に基づく適正な学校運営」を指す。国側はこの規程13条は、教育基本法16条に記された「不当な支配」(これはそもそも「戦前」の教育が軍国主義教育に歪められたことへの反省で記された文言だ)が含まれると拡大解釈。裁判では、朝鮮学校には、朝鮮総連から「不当な支配」を受けている「懸念」があり、就学支援金を支給すれば流用される「おそれ」があるなどと主張してきた。これは明白な訴訟対策、誤魔化しである。(ハ)の削除だけだと、記者会見などでの下村発言の「理由」との関係で、排除が根拠法の目的に反した「違法行為」と認定される危険が生じるからだ。
尋問では当時の担当者二人が出廷した。しかし大臣が会見で述べた理由「拉致問題の進展がみられない」云々と、それについての言及がない不指定通知との矛盾については説明が出来ず、挙句には「(下村の発言は、政治的、外交的理由ではなく)国民に分かり易く説明したもの」と言い張った。緻密な質問で矛盾を突かれると、担当者は何度も回答不能に陥り、弁護士からの質問をリピートする場面が目立ち始める。
「貴方の発言は矛盾しているのでは?」と聞かれた担当者が「矛盾って何ですか?」と問い直し、呆れた弁護士が「盾と矛ですよ」と答えた時には傍聴席から失笑が漏れた。
無償化排除は、第二次安倍政権の性格といえる「政治が通れば道理が引っ込む」的傲慢さに基づく措置だったことは明らかだった。「脇の甘い」上司(大臣)の「不手際」を、衆人環視の中で取り繕い、自らの立場を守ろうとする「役人」の悲哀が垣間見えた。
尋問は成功だった。「政治的、外交的理由」との言質こそ取れなかったが、「政治的、外交的理由」に基づく、行政権力の不当な教育への介入であったこと、「歴史修正主義者」と「レイシスト」の集合体である第二次安倍政権の本質を表す、在日朝鮮人、朝鮮学校への差別に他ならないことを浮き彫りにしたのである。それは緻密な問いで担当者を追い詰めた原告側代理人の努力は勿論として、現役官僚の尋問を採用した裁判官の決断があったからこそだ。でもその後、結審前に当該裁判長がなぜか交替したのである。
その代わりが、東北から中心部に「戻って」きた田中裁判長だった。その不可解を検証する手立てはないが、結果を見れば、まるで敗訴判決を書くために投入された「ワンポイントリリーフ」である。
判決を一読して、要旨も読まずに逃げた理由の一端が垣間見えた。名判決は得てして論旨が明快で格調高いものだが、これは真逆なのだ。「結論ありき」の駄文の極みなのである。さすがにあの裁判官をもってしても、これを人前で読むのは避けたかったのだろう。
田中裁判長らは原告側が示した事実を一切無視し、政治におもねった。後付に過ぎない国側の主張、「規程13条に適合すると認めるに至らなかった」に全面的に依拠。朝鮮総連からの「不当な支配」の「懸念」と、「流用」の「おそれ」を柱に、文科大臣にほぼ無限の裁量権を認めた上で、その判断それ自体をも「適正」とお墨付きを与えた。
そこで持ち出してきた「魔法の杖」は、国側が提出してきた産経新聞の記事や、公安調査庁の報告書の類である。その一つ一つを検証した大阪地裁判決では、露骨な印象操作や、裏付け無視の「書き飛ばし」ぶりが次々と指摘され、いずれも証拠価値を認められなかった代物である。国が出してきた「証拠」類をすべて丸のみ。その真偽を裁判所として検証することもなく、ひたすら国側の言い分をトレースした。結論を決め、そこに都合よい文言だけを切り取り、論理性など無視して切り貼りをしていく。まるでサイバースペースに棲息する差別主義者たちの書き込みだ。
挙句の果ては、四半世紀前に広島で起きた「名義貸し」問題まで引っ張り出してきた。これも大阪地裁判決では、古い話であり、その後に問題は起きていないなどとして退けられたものだ。国側の差別扇動に乗っかり、政治的、外交的理由に止まらず、治安管理的な観点をも教育の場に持ち込む。司法のチェック機能など端から無視した破廉恥ぶりである。第二次安倍政権以降、加速度的に進む行政権力の教育への介入をすべて肯定する一方で、その根拠を何ら示さないのである。
さらに開いた口が塞がらないのは、原告側が積み上げてきた事実を一切無視し、下村の不指定処分は「政治的、外交的判断ではない」としたこと。会見発言を「素直に読めば」「具体的な処分やその理由について述べたものではない」とまで言い切った。まったくもって理解不能である。おまけに原告側が立証し切った規定(ハ)削除の違法性については、13条の判断で事足りるとして、判断すら避けた。
104頁の判決文は、提出書面をコピー&ペーストしただけの代物、長いだけで裁判官自身の思考の形跡がないので、まるで「説得力」がない。全体的に粗雑なのはもちろん、前述した下村発言の評価など、何度読んでも、どう考えても辻褄が合わない「認定」が重要な部分でなされている。個別の文章でも意味それ自体がさっぱり掴めない部分も散見される。こんな事実と論理の欠落した悪文が「判決」として通用するならば、司法試験など不要だろう。一方で、稀に見る駄文から読みとれるのは、証拠価値のない「証拠」を並べ上げ、その隙間を自らの推察と憶測、偏見で埋めて「判決文」に仕立て上げた裁判官たちの忖度と保身、そして彼ら自身に巣食う差別意識である。結論ありき、最低限の良心すらも欠落した「決め打ち判決」の見本だった。あの裁判体は、裁判官の矜持や人間としての羞恥心をドブに捨て去り、レイシスト集団に他ならない第二次安倍政権最初の「仕事」だった「差別」を是認し抜き、それに「共犯」したのである。
「ふざけるな!」「不当判決反対!」。裁判所前では怒号が飛び交う。応答を拒む無機質な建物に、シュプレヒコールが投げつけられ、無償化闘争の現場で歌われてきた「声よ 集まれ 歌となれ」が終わることなく響き渡る。一方ではそれを茫然とした表情で見つめるオモニがいる。「やっぱりな……」と呟く人や、両手で顔を覆ったまま立ちすくむ人もいた。「これで、ぼくらの代で終わりにしたかったのに……たった二行で、悔しいです」。原告の男性が泣きじゃくりながら、テレビのインタビューを受けている。「負けてたまるか 私たちは絶対に負けない 負けない気持ちがある限り負けない」――。支援者がメガホンで叫び、前を向こうと呼びかける。そんな抗議行動は四十分以上、続いた。
報告集会は午後6時半開始だった。判決の影響が心配されたが、6時前から人びとが詰めかけ、開始前には通路にまで人が溢れ、最終的には1200人が参加した。
権力の中心「東京」で国と真正面から闘い、勝つことの難しさ、その壁の厚さを目の当りにさせられたからこそ、仕切り直しの集まりに人びとは駆け付けたのだと思う。1948年から繰り返されてきた数々の弾圧に際し、人びとが集い、身体を張って闘ったように。そこには闘いで築かれた「つながり」の強さがあった。
集会では弁護士が次々と登壇、原告たちの期待に応えられなかったことを詫び、高裁での逆転を誓った。原告の卒業生らが決意を表明した後は、広島や大阪、名古屋、福岡で闘いを勧める人びとや、韓国の支援団体メンバーたちがいっそうの連帯を確認していく。とりわけ地元で学校を守りぬいてきた歴代オモニ会長の言葉は気持ちを揺さぶるものだった。
「日本に正義はあるのか。植民地解放後、朝鮮人が真っ先に取り戻したのが朝鮮語であり、自分の名前だった。子どもたちをウリハッキョに通わせて立派な朝鮮人に育てたい。これのどこがいけないのか。すべての差別が根絶される日まで、日本中の子どもたちの笑顔と明るい未来のために、心を合わせて闘って行きましょう」
「子どもにはどんな判決が出ても『泣くな』と言いました。私たちは何も悪いことはしていない、当然の権利を求めているだけ」
「倒されたら起きたらいい。これ以上、子どもに涙を流させない」――。
何があろうとも勝つまで闘い抜く。マイクと一緒にその思いをリレーし、オモニたちの言葉は強度を増していく。その姿は、人は人である限り尊厳を求めるという、普遍的な事実を示していた。行政権力の差別をヒラメ裁判官たちが是認しても、人間が尊厳を求めるのを止めることはできない。上からの権力行使でそれを諦めさせられると考えているのは、安倍や下村、そして彼らの専横を看過、共犯した文部官僚たち、さらにはそれに「御墨付き」を与えた裁判官たち自身が、自らの尊厳を手放して恥じぬ存在だから、言い換えれば言葉の真の意味での「奴隷根性」の持ち主だからだろう。
高裁での逆転勝訴に向けた闘いは始まっている。既に高裁段階の広島と大阪、地裁段階で闘っている愛知、福岡でも勝利を目指す歩みは続く。大阪からの流れはいったん止められたが、民族教育を巡る司法判断は、民間レイシストによる京都事件判決から官製差別の大阪無償化判決へと繋がり、前に進んでいるのも確かな事実なのだ。3つ目の判決が出てことで、裁判所の「出方」も見えてきた。突っ込みどころ満載の広島、東京ヘイト判決の切り崩しや、大阪判決の「守り方」にも知力が絞られている。大阪補助金訴訟の控訴審も進んでいる。そしてこの闘いの勝利は、司法の枠には留まらない。最後の勝利に向けて、取り組めること、やるべきことはまだまだある。諦めるという「選択肢」はない。尊厳や自由、平等がなぜ大事なのか。身をもってその意味と重みを知る人たちにこそ、さらに大きな喜びを勝ち取る権利があるはずだ。

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闘いはまだまだこれからだ

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去る9月13日、東京地方裁判所で行われた「東京・高校無償化裁判」判決言い渡しを傍聴した藤永壯先生の感想です。

朝鮮学校「高校無償化」をめぐる東京の裁判は、原告敗訴の不当判決が言い渡された。事前に聞いていた裁判の状況から、勝訴の確率は高いと期待していただけに、いまだにショックが尾を引いている。国相手の訴訟の困難さを改めて痛感せざるを得ない。

東京判決の結論を簡単に言えば、「北朝鮮や朝鮮総聯」の「不当な支配」を受けている“疑いがある”朝鮮学校に就学支援金を支給すれば、支援金が「北朝鮮や朝鮮総聯」に流用される“疑いがある”ので朝鮮高級学校を不指定にした、という国の主張をそのまま追認したものだった。この点で、先に言い渡された広島の不当判決と軌を一にしている。

 しかし、こうした国の主張はウソである。第2次安倍政権は発足直後、まず朝鮮学校を無償化制度から排除するため、朝鮮高級学校の指定を念頭に置いた根拠規定を削除する文科省令改悪を行った。その理由が拉致問題などの政治的外交的判断によることは、当時の下村文科相の発言などから火を見るよりも明らかである。「不当な支配」云々は、規定削除の措置が教育の機会均等をうたった無償化制度の目的に反することを、政府自身がよく知っていたために後付けした理屈に過ぎない。

だが審理の過程で、国側は規定削除の集中争点化を避けるために「不当な支配」の存在を強調し、これを裏付けようと、産経新聞の報道など朝鮮総聯や朝鮮学校を敵視する悪意に満ちた情報を証拠として提出していった。とくに公安調査庁の報告書を提示したことにより、朝鮮学校への差別政策を実際に支えたのは、国家の治安管理の思想であることが明確になったと言える。本来、教育行政のあり方をめぐる争いであったはずのこの裁判を、在日朝鮮人に対する治安対策上の論点へと引きずり込もうとしたのが国側の戦略であった。つまるところ日本の公安機関に根強く巣くう「不逞鮮人」観にもとづく差別意識が、朝鮮学校への無償化適用に立ちはだかったのだ。

もちろん、かりに「不当な支配」について云々したとしても、朝鮮学校が就学支援金を不正受給する“疑いがある”というだけで、不指定が正当化されることなどあってはならない。しかし結局、広島・東京両地裁は国側の思惑に乗った判決を下したのである。

東京の原告弁護団は、朝鮮学校が無償化制度から排除された過程を綿密に分析し、また証人尋問では文科省の当時の担当者を徹底的に追い込んで、朝鮮学校の根拠規定を削除し不指定とした真の理由が、政治的外交的判断によることを論証した。不指定が違法であることの動かぬ証拠を突きつけたのだ。

ところが「不当な支配」論に与した東京地裁は、治安政策的な観点から文科大臣の判断を適法と認め、政治的外交的判断による根拠規定削除については「判断する必要がない」と突き放した。原告弁護団のメインの主張についてはスルーし、全く応答しようとしない不誠実で無礼きわまる判決だった。任期が十分に残っていたはずの前裁判官が、結審直前に交代させられるという異例の措置に対して、疑いの目が向けられるのも当然である。

このような司法の権威や信頼性を自ら損なうような杜撰な判決が通用すると、裁判官はタカをくくっているのだろうか。だとしたら、これは随分と人をなめた話である。在日朝鮮人をなめているだけでなく、日本人も含めた日本社会の構成員全体をなめた思考と言わざるを得ない。こんな不当判決を許してしまえば、国家は自らが恣意的に「反日」のレッテルを貼った個人、集団に対し、安心して差別政策を取ることだろう。裁判に訴えられたとしても、司法が正当化してくれるのだから。

救われたのは、東京の報告集会で参加者がみな前向きに切り替え、逆転勝訴に向かってファイトを燃やしていたことである。判決内容が杜撰なぶんだけ突っ込みどころは満載とも言える。不当判決を下した裁判官は、歴史の1ページに恥ずべき判例を残したと悔いることになるだろう。闘いはまだまだこれからだ。

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居直り

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厚顔無恥も甚だしい。
もはや嘘も口実も面倒だと言わんばかりだ。
激しくこみあげる怒りをもって9月14日付毎日新聞・社会面の記事を一部引用する。

「無償除外は適法『政治的理由』否定 東京地裁」

「学ぶ権利」同じでは?
 「民主主義はあるのか」。午後2時15分過ぎ、東京地裁前。法廷から飛び出してきた元生徒側の弁護士らが「不当判決」「朝高生の声届かず」と書かれた紙を掲げると、支援者らは怒号を上げ、泣き出す女性の姿もみられた。
東京朝鮮中高級学校の卒業生で、都内の大学に通う女性(19)は「学ぶ権利は他の高校と同じじゃないのか。絶対勝てると信じていたので(敗訴は)悔しい」と、目を赤くした。
この日、傍聴券を求めて約1500人が並んだが、判決読み上げは1分程度。閉廷後に記者会見した原告の女性(22)は「悔しい思いでいっぱい」と涙を浮かべ、原告の男性(21)は「朝鮮人として堂々と生きる権利、子供たちの未来や笑顔などすべてを奪った判決に憤りを隠せない。権利を勝ち取るまで闘う」と語気を強めた。
元生徒側の喜田村洋一弁護士は「明らかに政治的問題を考慮して不指定とした処分なのに、判決はそうは認めず、理由を十分に説明しきれていない。ひどい判決だ」と批判した。
これに対し、ある文科省幹部は「国連安全保障理事会が経済制裁を決議しているのに、日本政府が朝鮮学校に(無償化対象の高校に給付する)就学支援金を出すわけにはいかない。『教育の機会均等』とは別次元の話だ」と、国の主張を全面的に認めた判決を評価した。

高校無償化制度が施行された年の8月31日、文科省は検討会議の報告を発表した。そこではっきりと「外交上の配慮によって判断するのではなく、教育上の観点から客観的に判断する」と言ったではないか。

行政が「公平」をないがしろにし、司法が「公正」を見失ってしまったら、市井の人々に拠り所はなくなる。
大阪地方裁判所で下された判決がそうであったように、行政の過ちは司法が糾さねばならない。

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朝高生たちの声届かず

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9月13日、午後2時。
東京地方裁判所において「東京・高校無償化裁判」の判決が言い渡された。
現地からのライブ映像には、声を合わせ歌い、シュプレヒコールをあげる1500名もの傍聴希望者たちが映し出された。
午後2時15分、法廷から出てきた弁護士の手に握られていたのは「不当判決」の幕。
怒号と慟哭。辺りは一時騒然となった。
拡声器から聞こえた緊急報告によると、裁判長は主文として「原告の訴えを棄却する」とだけ告げ、判決要旨も語らず逃げるように退廷したそうだ。
「恥を知れ!」裁判所前では、激しい怒りを込めたシュプレヒコールがいつまでも響き渡った。
この日の午後6時半より、日本教育会館一橋ホールで報告集会が行われた。

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朝鮮学校無償化訴訟、国が弁論再開申し立て 東京地裁

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 被告である国は申立書で、大阪地裁の同種訴訟で7月に国が全面敗訴したことについて「大阪地裁の判断には多くの誤りがあり、東京地裁で新たな証拠を追加して主張する」としている。

原告側は「弁論終結後3カ月以上もたってから新証拠を提出することは民事訴訟法で許されない」とする書面を東京地裁に提出、申し立てを認めないよう求めた。

7月の大阪地裁判決は、国が拉致問題などを理由に無償化の対象外としたのは「教育の機会均等の確保を定めた高校無償化法の趣旨を逸脱しており違法だ」と認定した。国は判決を不服として控訴している。


矛盾している。
審理の過程で示せなかった「証拠」など「こじつけ」以外の何物でもない。
国は、この訴訟で問われているものが何であるかを熟考し、見苦しい「自らの在り方」を改めるべきだ。

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三つめの判決

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来たる2017年9月13日、「東京・無償化裁判」の判決が下される。
大阪地裁の判決が示した通り、司法の正義と良識を見せて欲しい。

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