私にとっての4・24

4・24阪神教育闘争77周年記念集会

去る4月19日(土)、在日大韓基督教会(KCC会館)において、「4・24阪神教育闘争77周年記念集会」が行われました。
「サ・イサ」と呼ばれ、民族教育の重要な歴史として在日同胞たちの胸に深く刻み込まれたこの闘争は、1948年4月、GHQの指令を受けた日本政府が発令した「朝鮮人学校閉鎖令」に抗い、民族教育を守ために神戸、大阪で巻き起こった教育闘争です。今年で77周年を迎えるこの日を民族教育事業の歴史を語り継ぐため「民族教育ネットワーク」が記念集会として主催し、開催しました。
集会では先ず講演に先立ち、ピアノによる「アリラン」の演奏や、朝鮮学校の成り立ちに寄せた深い想いを詩に託し、詩人・許南麒が作詞した「こどもたちよ これがウリハッキョだよ」の歌唱が披露されました。
主催者代表の挨拶の後、「私にとっての4・24(サイサ)」〜民族教育の歴史と今の課題〜と題して、藤永壯先生の講演がありました。講演では、1945年、植民地政策からの解放を機に、在日朝鮮人のアイデンティティを回復する機運の高まりと共に全国で立ち上げられた「民族教育事業=朝鮮学校設立」の運動を、日本政府が「ダブルスタンダード政策」のもと「人権問題」、「教育問題」としてではなく「治安維持問題」として武力を行使し激しく弾圧した事実が、具体的な証拠資料で丁寧に紐解かれ解説されました。そして、この日の凄惨な事件が、朝鮮高級学校の「高校無償化」除外や「幼保無償化」除外など連綿と続く民族教育差別につながっていると語られました。

  • 藤永壮先生の講演「私にとっての4・24」

続いて集会では「私にとっての火曜日行動」と題してリレートークが行われました。
登壇したのは、毎週火曜日に大阪府庁前で行われているスタンディングアピール「火曜日行動」にゆかりのある三人です。
最初に「城北ハッキョ学校(現・北大阪ハッキョ)を支える会」を立ち上げた大村和子さんが発言しました。大村さんは、2012年3月、ほんの数人から始まった「火曜日行動」の歴史とその意義について語られました。また、回を追うごとに活動の意義に賛同した参加者が増えてきた経緯を振り返りながら、決して望ましいことではないけれど「火曜日行動」は、すべての子どもたちが等しく学べる日が来るまで続くと宣言されました。
次に、奈良県日朝親善友好協会共同代表で「ハッキョ支援ネットワーク奈良」幹事の森本忠紀さんがマイクを取りました。「火曜日バンド」として毎回「火曜日行動」を賑やかに盛り上げている森本さんは、この日もご自慢の三線(さんしん)や自作の短歌をご披露され、これからも「火曜日行動」を楽しく続けて行くと語られました。
最後に発言したのは、東大阪朝鮮初級学校や大阪朝鮮中高級学校で「オモニ会長」を務め、民族教育の権利を勝ち取るための活動を続けておられる高己蓮さんです。高さんは朝鮮学校「オモニ会」について、その深い歴史と多岐にわたる活動内容を紹介しつつ「火曜日行動」を通じてつながった日本人支援者たちとの心の交流について語られました。また、「共に生きていくこと、共に生きていく素晴らしさ、和たちたちが目指すものを教えてくれた場所」であり「安心できる自分の居場所」がまさに「火曜日行動」だと仰いました。そして、共に声をあげ、共に歌い同じ時間を共有する大切な場である「火曜日行動」のバトンを次世代へつないで行こうと力強く呼びかけました。
質疑応答の後、数名の方々からアピールがあり集会は締め括られました。
民族教育を守り抜くために闘われた「4・24(サイサ)」の精神は「火曜日行動」をはじめとする民族教育支援の活動に今も脈々と受け継がれています。そして、その活動の中で連帯の輪が広がり続けてきました。参加者たちはこの日の集会を通してその大切なつながりを確かめました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です